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大阪地方裁判所 平成3年(ワ)10324号 判決

原告

田村祐子

ほか一名

被告

近畿日本鉄道株式会社・国

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実及び理由

第一請求

被告らは、原告らに対し、連帯して、各金一五〇〇万円及びこれらに対する平成三年一二月二七日(ただし、被告国は平成四年一月八日)から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二事案の概要

本件は、近鉄東大阪線新石切・生駒間の生駒トンネル内で発生した火災による停電のため、同トンネル内を走行していた列車の乗客である原告らが、右火災事故により、咽頭気管支炎、一酸化炭素中毒の傷害を受け、喘息性気管支炎の後遺障害が残つたとして、被告近畿日本鉄道株式会社(以下「被告近鉄」という。)に対し、民法四一五条、七一七条に基づき、被告国に対し、監督官庁である運輸大臣が行つた電器設備の竣功検査において、出火原因である工事ミスを発見できなかつたとして、国家賠償法一条一項に基づき、損害賠償請求した事案である。

一  争いのない事実等(証拠摘示のない事実は争いのない事実である。)

1  事故(以下「本件事故」という。)の発生

(一) 日時 昭和六二年九月二一日午後四時二〇分ころ

(二) 場所 被告近鉄東大阪線新石切・生駒間の生駒トンネル内

(三) 走行列車 大阪港発、生駒行き四五七六列車(甲七、以下「本件列車」という。)

(四) 事故態様 生駒トンネル内で、特別高圧送電線の接続器の火災による停電のため、本件列車は運行不能となり、同トンネル内で自然停車したが、母・田村照子(以下「照子」という。)と乗車していた原告らは、トンネル内から、約一時間三〇分後に脱出した(甲二六)。

2  本件列車ないし生駒トンネルに対する被告らの関与

被告近鉄は、本件列車を運行・管理し、被告国の運輸大臣は、被告近鉄の監督官庁として、出火箇所である特別高圧送電線の接続器の竣功検査をした。

3  原告らは、被告近鉄から、本件事故に関し、各一〇万円の支払いを受けた。

二  争点

1  被告近鉄の責任の有無

2  被告国の責任の有無

3  示談の成否

昭和六二年一一月一日、原告らと被告近鉄との間で、本件事故に関して、示談が成立したか。示談の成立により、原告らは被告両名に対し、本件事故による損害賠償を請求できなくなつたか。

4  原告らの後遺障害の存否及び本件事故との因果関係の有無、損害額

第三争点に対する判断

一  原吉らの病状の推移、示談書の作成経緯

1  原告田村祐子(以下「原告祐子」という。)の病状及び治療経過

証拠(甲二ないし五の各1、一〇、同二一、二二の各1ないし3、二五、二六、原告ら法定代理人照子)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

原告祐子(昭和五九年五月一四日生)は、かねてから気道炎を患い、昭和六二年二月一八日、村嶋小児科医院において、上気道炎と診断され、その後、同病名及び気管支炎等により、同病院に通院していたが、咽頭が常時発赤し、時に嘔吐し、咳がおさまらず、同年九月一四日、同病院の医師により、喘息性気管支炎と診断された。

右通院の状況は、別紙通院経過一覧表のとおりであり、一か月当たりの通院回数は、昭和六二年二月が三回、同年三月が四回、同年四月が〇回、同年五月が三回、同年六月が九回、同年七月が一〇回、同年八月が一回、同年九月(本件事故時まで)が四回と、月により変動が著しく、本件事故の直前は、二日に一回程度の頻度で通院していた。同時期の診療録にみられる、発咳の回数は、一か月当たり一ないし四回であつた。

同原告は、同年九月二一日、本件事故に遭い、咳と嘔吐が生じ、約二時間後、枚岡病院において、咽頭気管支炎、一酸化炭素中毒により、七日間の通院加療を要するとの診断を受け、その後、平成五年二月五日まで、村嶋小児科医院等へ通院した。右通院(昭和六三年二月一日まで)の状況は、別紙通院経過一覧表のとおり、昭和六二年九月(本件事故以後)が五回、同年一〇月が一三回、同年一一月が九回、同年一二月が二一回、昭和六三年一月が五回であつて、月により、著しい変動がみられた。また、村嶋小児科医院のカルテ上、同原告は、事故後、以前より発咳が増加したが、昭和六二年一〇月初旬から減少し、一旦は症状が安定した。以後、同月下旬から発咳が増加し、同年一一月四日、慢性疾患指導管理科で受診し、同月中旬、発咳が減少したが、同月下旬、発咳が増加し、同年一二月一日、慢性疾患指導管理科で受診し、同月初旬、発咳が減少したが、同月末、発咳が増加し、昭和六三年一月九日、慢性疾患指導管理科で受診し、その後、発咳がおさまるなど、発咳の減少と増加を繰り返していた。

2  原告田村美智子(以下「原告美智子」という。)の病状及び治療経過

証拠(甲二ないし五の各2、一一、同二三、二四の各1ないし3、二五、二六、原告ら法定代理人照子)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

原告美智子(昭和六一年七月三〇日生)は、かねてから上気道炎、気管支炎等を患い、昭和六二年二月以降、村嶋小児科医院へ通院していた。

右通院の状況は、別紙通院経過一覧表のとおりであり、一か月当たりの通院回数は、昭和六二年二月が三回、同年三月が四回、同年五月、六月が二回であつたが、同年七月は一〇回、同年八月は三回、同年九月(本件事故時まで)は四回と月により変動が著しく、本件事故の直前は、二日に一回程度の頻度で通院していた。同時期の診療録にみられる、発咳の回数は、同年三月、六月、七月に一回みられる程度であつた。

同原告は、本件事故に遭い、咳と嘔吐が生じ、その二時間後、枚岡病院において、咽頭気管支炎、一酸化炭素中毒により七日間の通院加療を要すると診断され、その後、平成五年二月一日まで、村嶋小児科医院等へ通院した。右通院(昭和六三年二月一日まで)の状況は、別紙通院経過一覧表のとおり、昭和六二年九月(本件事故以後)は四回、同年一〇月は一〇回、同年一一月は七回、同年一二月は一八回、昭和六三年一月は五回であつて、月により、著しい変動がみられた。また、村嶋小児科医院のカルテ上、発咳は、昭和六二年一一月までみられず、同年一二月に七回みられたが、昭和六三年一月には二回と鎮静化した。同原告は、原告祐子と同様、同年二月以降、慢性疾患指導管理科で受診するようになつた。

3  示談書作成の経緯

証拠(甲一の1、2、乙一、同二、三の各1、2、四の1ないし3、原告ら法定代理人田村進、同照子)及び弁論の全趣旨によれば、次の事実が認められる。

本件事故後、被告近鉄の職員が週に一回程度、見舞いや協議のために、肩書原告ら宅に、同人らの父母である田村進(以下「進」という。)と照子を訪ね、原告らや照子の病状、後遺障害等について協議した。そして、昭和六二年一一月一日、進宅の居間において、被告近鉄の職員と進とが話合い、原告らの本件事故による損害に関し、進が、原告らの法定代理人として、被告近鉄に宛てた、次の内容の、示談書と題する書面(甲一の1、2)を、次のとおりに作成した。

「生駒トンネル内で発生したトンネル火災により、原告らが負傷(咽頭気管支炎、一酸化炭素中毒)した件について、本日次の条項により示談した。

一  示談解決金として金「壱拾万」円也を受領した。

二  後日(向後「参」ケ年限り)頭書の負傷による症状が再発し、国公立病院の医師により、当事故に起因するとの診断がなされた場合には、治療等について、貴社において誠意をもつて話し合いに応ずること

三  今後本件事故に関し、貴社並びに関係者に対し、一切何らの申立て等をしない。」

進は、右書面中の「壱拾万」及び「参」を自書し、右書面末尾に原告らの法定代理人として署名押印した。右書面を作成した際に、進は、照子の損害に関しても、ほぼ同様の書面(右二項の「(参ケ年限り)」が「(壱ケ年限り)」とされている。)を作成し(乙一)、右各書面の趣旨に従つた解決金三〇万円(原告ら及び照子につき各一〇万円)、原告らと照子の衣服等汚損一部負担金一五万円(各五万円)、原告らと照子の通院諸費用五万円、以上合計五〇万円が被告近鉄から進に対して支払われた。この間、照子は、居間近くの台所において、洗い物をする等していたが、右概要を聞き及び、同日以降、進に対し何ら異議を述べなかつた。

二  当裁判所の判断

1  被告近鉄との示談の成立

(一) 以上認定の事実によれば、本件事故により原告らに生じた損害に関し、昭和六二年一一月一日、被告近鉄と原告らとの間で示談が成立し、これに従い原告らが右各金員を受領したことが認められる(前記認定事実に照らすと、原告らの法定代理人照子は、同進がなした右示談に同意していたと推認できる。)。

右に関し、原告ら法定代理人進は、見舞金五〇万円を被告近鉄から受領するに際し、示談書と題する書面(甲一の1、2、乙一)に署名し、右金員についての領収書(乙二、三の各1、2、四の1ないし3)を差し入れたにすぎず、右示談書と題する書面は読んでいなかつたと供述する。しかし、前記示談書と題する書面の、示談金額「壱拾万」の文字や症状が再発した場合の期間である三年や一年の、「参」あるいは「壱」の文字は、進自らが記入したものであり、再発の期間につき、原告らが母照子より長期となつたのは原告らが幼少であつたからであり、右期間につき被告近鉄から指示や要請がなされた記憶はないと供述していることに照らし、進は、右五〇万円を単なる見舞金として受領したのではなく、再協議をする場合の、要件等をも検討の上、書面を作成したと認められるので、進の前記供述部分は信用できない。

したがつて、原告らの被告近鉄に対する損害賠償請求権は、右各示談書の作成、示談金の受領により消滅したと認められる。

(二) もつとも、右各示談書には、「後日(向後参ケ年限り)頭書の負傷による症状が再発し、国公立病院の医師により、当事故に起因するとの診断がなされた場合には、治療等について、貴社において誠意をもつて話し合いに応ずること」との条項があるから、原告らに関し、右期間内に、本件事故に起因する咽頭気管支炎、一酸化炭素中毒の症状が再発した場合には、原告らは、さらに被告近鉄に対し損害賠償を請求できることとなる。

しかしながら、本件全証拠によるも、右期間内に、原告らに、右条項にいう症状が再発し、国公立病院の医師により、本件事故に起因する旨の診断がされたことは認められないので、原告らは被告近鉄に対し、何らの請求もできない(前記認定のとおり、原告祐子は、本件事故前から喘息性気管支炎に罹患していたところ、同疾患は、比較的年齢の低い子供が呼吸の度に喘鳴を繰り返し、軽度の呼吸困難、発熱などを繰り返す疾患であり、従前から、発咳がみられたのであるから、同事故に遭い、火災の煙、煤、一酸化炭素等を吸入したことにより、一時的に症状が増悪することがあつたとしても、それが長期間持続する蓋然性は低いと解されること、同原告の症状は、本件事故後、一時的に、吐き気を伴う咳が頻発したが、昭和六二年一一月には鎮静化し、発咳も減少したこと、同年一二月には通院回数、発咳とも増加したが、本件事故直後にみられたような嘔吐を伴う発咳はほとんどみられず、昭和六三年一月には鎮静化したことを考慮すると、本件事故により一時的に生じたと解される吐き気を伴う咳の頻発などの症状は、事故から間もなくして影をひそめ、その後、症状が再発したとは認められないし、原告美智子は、本件事故前から上気道炎、気管支炎等に罹患していたところ、同疾患は、比較的低年齢の子供が罹患した場合、元来細い気管支の内腔が、炎症によつて肥厚して狭くなり、空気のとおりが悪くなつて呼吸困難などを繰り返す疾患であり、従前から発咳などが散見されたのであるから、事故に遭い、一時的に症状が増悪することがあつたとしても、それが長期間持続する蓋然性は低いと解されること、同原告は、事故後、通院回数が若干増加したが、昭和六二年一一月には安定したこと、本件事故直後にみられたような嘔吐を伴う発咳は、本件事故翌日以降同月になつても一切みられないことを考慮すると、本件事故により一時的に生じたと解される吐き気を伴う咳の頻発などの症状は、事故から間もなくして影をひそめ、その後、症状が再発したとは認められない。)。

2  被告国に対する請求権の存否

(一) 前記のとおり、原告らは、昭和六二年一一月一日、被告近鉄と本件事故につき示談解決するに際し、「今後本件事故に関し、関係者に対し、一切何ら申立て等をしない。」旨合意したものであり、被告国が本件事故の関係者であることは、運輸大臣が被告近鉄の監督官庁であることから明らかである。

そうすると、原告らは、被告国に対し、何ら請求できないといわざるを得ない(本件事故の責任の有無が一次的には被告近鉄との間で問題となつたため、同被告との示談解決により、原告らは関係者に対する一切の請求権を放棄したものであり、被告近鉄としては、原告らが爾後関係者に対して何らかの請求権を有すれば、求償の問題が生じ、抜本的な解決が得られないことになるので、右放棄が条項化されたものと解される。)。

(二) なお、前記のとおり、本件事故により原告らに生じた損害は、従前から有していた気管支系の疾病(気管支炎ないし喘息)が、本件事故により一時的に増悪したことによるものであり、右増悪の影響と思われる吐き気を伴う咳の増加も、原告祐子においては昭和六二年一一月一日ころ、同美智子においては、同年九月二二日ころには消失していたから、その間の治療費、慰謝料を合算しても、損害額は一〇万円に満たないと思料される。したがつて、仮に、原告らが被告国に対する請求権を放棄していなかつたとしても、被告近鉄から原告らへ各一〇万円が支払われたことにより、右請求権は消滅したといわざるを得ない。

三  結論

以上により、原告らの被告らに対する本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がない。

(裁判官 下方元子 大沼洋一 中島栄)

通院経過一覧表

(田村祐子関係)

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通院経過一覧表

(田村美智子関係)

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